【コラム】スポーツ選手のストレスとケガ

第9回 「宿世の感」・・・

吉備国際大学社会科学部学部長・教授
公益財団法人日本健康スポーツ連盟認定プロフェショナルトレーナー
一般社団法人日本メディセル療法協会理事・学術委員長

竹内 研

「宿世の感」という言葉、若い方々は馴染みがないかも知れないですが、若くないオジサンの私なんぞは、身近な言葉です。
「昔は○○○○○○だったけど、今はビックリするほど変わったな。」みたいな意味でしょうか。

コロナ渦で一年ずれ込んでしまった東京オリンピック。
57年前の東京オリンピックの時は、私は小学校1年生でした。もはや遥か昔となってしまいましたが、先の東京オリンピックには、鮮明な思い出があるのです。

と言うのも、小学校1年生の私は、地元の読売新聞社から「開会式の中継を観て直ぐに、感想文を書きあげて、持ってきてほしい。」と頼まれたのです。同新聞の地元欄に載せるためでした。なので、開会式を一生懸命観て、すぐに感想文を書いて、父親のバイク(当時はカブと呼ばれた)に乗せてもらって、届けました。

何故私が頼まれたかというと、読売新聞は小中学生の全国作文コンクールを毎年開催していて、小学校1年生の私はそのコンクールへ初めて作品を応募、その結果、県予選を通過して、全国審査に進出したという、いわば華やかなデビューを飾ったから。その後そのコンクールでは、全国審査で文部大臣賞つまり日本一位をいただいたりしました。

そんな訳で、机の前に座って、本読んだり何か書いたりしている、そういうタイプの子供だったのですが、正に「宿世の感」、あるきっかけで大して器用でもないのに、毎日毎日、日が暮れても学校のグラウンドから去ろうとしない、運動がやたら好きな子へと変わりました。

そのきっかけというのは、父親が始めた少年サッカースクール。本人ほとんどやりたい気持ち無し、にもかかわらず半ば強制的に手を引かれて、グラウンドへ。時には嫌で、本当に泣きました。小学校3年生の時の事です。
サッカーは今からは想像もできないくらい、マイナーな立場。日本代表も本当に弱かった。ワールドカップ? もう別世界。日本代表が出場するなんて考えられない、そんな時代。

これぞ正しく「宿世の感」。

そうこうしている内にサッカーが好きになり、サッカーしか関心がなくなり、引いてはスポーツばかりやりたがる子供になりました。まあ、読書も好きでしたけどね。でも読む本は当然、運動やスポーツに繋がる本へと傾いていった。
しかし、自分の中にひとつの大きく重いトラウマと言いたいくらいの重石があった。

それは「俺は運動神経がそれほど良くない」・・・。

これでは、サッカー上手くなりたいのに、トップレベルになりたいのに、多分無理。
当時、自分にとってダントツ一番大切なサッカーに関して抱かざるを得なかった劣等感。
これは大問題でしたね。

さあ、そこから始まった、少年時代から青年時代を通しての、運動神経の革命を求めての渉猟・徘徊。
もう、学校の勉強には目が向かない。だって、学校の勉強の中には、運動神経を良くする方法なんて、どこにも無い。
思春期になって定期的に突発的に発症するようになった強い片頭痛。これにも戦々恐々としながら、これまた学校の勉強には無い、身体の有様にも関心が高まっていった。
自分としてはなかなか悩ましい心境のまま、目指して努力した結果という訳でもなく進学した筑波大学(同窓の皆々様に叱られる。同級生にも、著名な方々も大勢。)に入った頃から、この糸の切れたタコ状態の、青二才の探求が昂じていきました。

そのころズドンと感じてしまったのが、「自分の抱いている問題意識に対する解答は、世の中で広く言われていることや、常識や、学校で教え学ばれている事の中には無い」・・・。

2021-07-21